私のまわりには、糸を使って作品を作る作家さんが沢山います。
たまに出る話題が、作品の模倣について。 ここでは、法律上の問題ではなく、人としてどう思うかという「本質的なこと」について、私の気づきをかきます。
個人的には、誰かの作品を表面的に見て、素敵だと思って、それを自分の楽しみのために作っるという行為に疑問を抱かないタイプです。もし誰かが自分をメンションしてSNSに上げてくれた日には、ちょっと誇らしかったり、人が作ると雰囲気が変わるという新しい発見もあったりして、嬉しいです。
似てる作品や真似して作った作品もありますが、それぞれの個性は溢れ出てしまうものなんだなと思っています。作品の雰囲気だけでなく、写真の撮り方、光の入れ方、背景。そんなところからも、その人独自の「何か」を感じ取る事ができます。
私がこんな風に思うのは、手作りのものを通じて、人ってみんなそれぞれ違うんだな。ということを確認するのが楽しくてしょうがないから。
こんな考え方なので、真似されるのが嫌な方の気持ちが、深く理解できていませんでした。
先日、編み物をする友人から、他の人には作ってほしくない作品があって、その作品を目コピで作ってしまった方との苦い経験を話してくれました。
彼女にいくつか質問をしていくうちに、ようやく同じものを作って欲しくない理由が腑に落ち大納得!
私は編み物に「素敵なデザインの実用的なもの」という概念を抱いていたのですが、彼女にとって、その作品は、アートのように価値観や哲学、それを色や形、素材に落とし込んだ作品だったのです。
彼女の意図を理解してから、彼女の作品や作家性にさらに感動しました。同時に、これが毛糸と針を使っていることで、アートではなく編み物とらえてしまったもどかしさも感じました。
これが、現代アートであれば、すぐに「側だけ真似されたくない」の意図がすんなり理解できたと思うのですが、私の編み物に対する思い込みが、すぐに理解をできない状況を作りだしていたのです。
いつも、同じ手まりでも、取り扱う人によって意味や目的が全く違うと感じていたのに。
同じ「編み物」や「手芸」を扱っていても、全く違う概念や哲学のもとに、その行為を選んでいる人がいるということ。そして、自分の思いを伝えることや、人によって少しづつ違う「当たり前」があること。こういうことを意識するのって、改めて必要だなーと思いました。
人が作った素敵な作品を、個人の楽しみで作らないという話ではなく、良いと思ったのなら、したらいい。その結果、嫌だと言われたら、嫌な気持ちに対してごめんなさい。その方ことが知れたのだから、配慮して未来の行動を変えればいい。伝える側も、価値観が違う人へ、嫌なことを伝え、理解が得られなかったら距離おく。そんな感じが良い塩梅ではないかと思いました。
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